【雑記】ブラック会社に勤めていたんだがなんとか生きている Vol.2 ~築地編①~
今週末に久しぶりに元戦場メンバーと飲みます。前回「ブラック会社に勤めていたんだがなんとか生きている Vol.1 ~三田編~」という赤裸々な戦場経験を綴りましたが、他にも至る所で炎上プロジェクトがありました。その中でも稼働という意味では炎上ではありませんが、三田の戦場案件の後に、今でもその当時のメンバーと仲良くさせて頂いているプロジェクトが築地案件です。
魚屋さんではありません。私が三田の戦場の後に送り込まれたのが築地の聖路加案件でした。三田の案件では入社して半年で45時間以上の残業を連続して6カ月使い切ってしまい、直近で稼働が300を超えていたので、軍部の掲げる三六協定という名のとってつけたような防共協定は破綻し、次にどこにやるか考えた末に出された結論が築地の聖路加案件でした。
聖路加案件の作業場は築地にある聖路加タワーという隅田川のほとりに立つ、47階のツインタワーです。既に同期でGW明けに聖路加案件に突っ込まれた同僚がいました。煌びやかな聖路加ガーデンで、三田の泥臭い案件とは程遠い、デグレ戦隊の私はそのビルを目の前に息を飲みました。
出典:youtube yuichi Sチャンネル
この案件は某社の技術部門が結集する少数精鋭部隊で構成され、案件に突っ込まれるときに技術面談が御座いました。このポンコツが果たして部隊で使い物になるかどうかを某社の大佐が色んな武器を使いこなせるかヒアリングするわけです。どのようなアプリケーションサーバを触ったことがあるのかと聞かれました。新人二等兵ではありましたが、オープンソースのApacheやtomcat、JBossをローカルマシンで動かしたことはありました。要はいつでも戦闘機に乗って空へ飛び立つ準備が整っているか聞く訳です。
乗ったことはあると答えました。次に聞かれたのはJBossのチューニング方法を聞かれました。その戦闘機のメンテナンスはやったことがあるかと。さすがにメンテナンスまではやったことがなかったので、「ありません」と答えました。大佐は考え込んでいましたが、次の日に三田の戦場に行くと、週明けにでも聖路加へ行ってくれと伝えられました。技術面談に臨んだのは新人二等兵の私と、私と同じ筑前の国出身の5年目の伍長殿、そして蝦夷国出身の5年目の伍長殿でした。
我々は仕様も知らされぬまま某社の機密部隊であった聖路加に送り込まれた。
機密部隊には我々の部隊からは経験10年目の上級曹長3名、経験7年の曹長2名、同じく送り込まれた伍長2名、既に任務に就いている上等兵2名、そして新人二等兵のデグレの俺だった。他の部隊にも我々軍部から突っ込まれたものもいたが、機密部隊は小隊のようだった。
どうやら既に防共協定に違反している俺は、任務を最小限にして次の空に飛び立つ準備を整えてくれとの神からのお達しが下っているようだった。しかし、俺には機密部隊が作った大盛のスパゲティコードであるソフトウェアフレームワークを解読する任務は気の遠くなるような作業のように思えた。
この大盛スパゲティは某社の全プロジェクトに波及する機密武器であるので、簡単にスパゲティを混ぜくるわけにはいかない。俺にはスパゲティには見えたが、当時としては最先端の武器であった。まず俺はその武器の使い方を徹底的に盗むことにした。
帰路に着くなり"写生"することにした。色んな意味での写生ではあったが、ACID特性の意味もよく分からなかった俺には自前でトランザクション処理をする機密武器が宇宙言語のように思えた。
S曹長はどうやらサディストのようで、「そんなことも知らねえのかよ、死ねよ」と愛のムチを与えながらも、一緒にシルビアS15と新人二等兵ながら乗っていたRX-7で等々力緑地をツーリングするというアメとムチを使い分けるアーキテクトと呼ばれるスペシャリストだった。
そう、ここはサディストばかりが集まる体育会系プロジェクトだったのだ。任務に配属され、すぐに宴会が開かれた。
まず、酒が飲めなかった。今でこそ浴びるほど酒を呑むことができるようになったが、当時はビールを3杯飲んだらトイレに閉じこもり、部隊から捜索願が出されるほど酒に弱かった。個室に閉じこもり、鍵をかけそのまま寝てしまうのである。なんどもH曹長が捜索願を受理し、個室によじ登って遭難した俺を救出したが、既に俺は凍死寸前で、息を吹き返す頃には空が明るく見える頃だった。
これが週末だったらまだよい。週の頭若しくは中日で開催されるからたちが悪いのである。朝方に帰宅し、そのまま軍服を着替え、部隊に合流するのである。連日決まって2次会、3次会のフルコーラスが組み込まれた。ある日、俺は曲の途中で行方を晦ますという画期的な技を思いついた。皆が次の盛り場を探し出そうとする瞬間を狙い、行方を晦まし帰路につくのである。
これは俺にとって防衛本能的な手段であったが、すぐに次の盛り場で「デグレは絶対帰すな」という軍部からのお達しで捕虜としてすぐに捉えられた。前回の盛り場でI伍長が深夜零時を過ぎた頃に「歌舞伎町にこれから特攻する」という意味不明な指示を出したせいで、朝方に同じ帰路に就いていた同じく凍死寸前のT曹長を見捨てたという不名誉な烙印が押されていたのである。
「背に腹は変えられない」という諺があるが、「デグレ君、あのとき見捨てたよね」と曹長から言われると、「行くべきだったのは俺だった」と今でも恥じてしまう。そう新人二等兵は、身の振る舞いには細心の注意を払う必要があるのだ。
色んな意味でふらふらになりながら、隅田川から流れる屋形船を、いつかはのんびりと屋形船に乗りたいものだなぁと思いながら眺めていた。
出典:youtube yonjakax2010
つづく。
written by tamito0201(たみと)
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P.S. 連投すみません。今日はこれを持って書かないので悪しからず。
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ブラックではありませんでしが、なんとなく戦場体験わかります。前の投稿の同期が300人とかも ;) もう今は体力的に無理です。懐かしき若き日々!
僕もタイトな現場がありました。当時を振り返ると時間に追われて、3年くらい人間らしい生活できなかったかもしれないです。その分成長はできたので、後悔はしてないです!とはいえ、二度とはやりたくありません(笑)
お疲れさまの$0.03つけておきました。私ももう戻れません、、、体力的に :D
ありがとうございます!最近は炎上プロジェクトも珍しくなりましたが、最近でも絶対受けちゃダメなプロジェクトありました。T電さんの案件とか。恐ろしすぎて思い出しただけでも身震いがします!
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